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東京家庭裁判所 平成4年(家)1314号 審判

主文

一  明月院光誉清幸大姉と光月院清誉妙照大姉と二名列記の位牌と奈良県の山の辺霊園に存在する墓地(六区画四九の一)の使用権と墓石等の承継者を、申立人と定める。

二  東京都多摩霊園の墓地(一種五区一二側三番)の使用権と墓石等、相手方B宅内にある仏壇、仏具、深誉誠心禅定文、深誉姉心禅定文、求道院清誉雄心居士、梅蘂院芳誉雄魂居士の四名と甲野家先祖代々とを列記した位牌、梅岸院芳雪妙薫大姉、容顔智芳善童女、心鏡無善童子の三名列記の位牌の承継者を相手方Bと定める。

理由

第一  申立ての趣旨及び実情

一  申立ての趣旨

被相続人I所有の祭祀財産の承継者を申立人に指定する。

二  申立ての実情

(1)  被相続人の祭祀用財産は、次のとおりである。

ア 多摩霊園五区一種一二側に存在する墳墓

イ 奈良県の専行院山の辺霊園に存在する墳墓(六区画四九の一)

ウ 仏壇、仏具

エ 次の位牌

求道院清誉雄心居士、明月院光誉清幸大姉、容顔智芳善童女、梅岸院芳雪妙薫大姉、心鏡無善童子、梅蘂院芳誉雄魂居士、光月院清誉妙照大姉、善照院観誉清風居士

(2)  当初、本件申立人として、被相続人とJとの間の長男亡H(以下、「亡H」という。がおり、亡Hと申立人Aは、被相続人I所有の祭祀財産の承継者を亡Hに指定することを求めていた。

その理由としては、甲野家においては、代々長男の名前に清の字を付け、祭祀財産は代々長男が継承してきているが、亡Hが被相続人の長男に当たり、黙示の指定があったこと、黙示の指定がなくとも、親族においても同人が祭祀を承継することに賛成していること、既に、上記イの墳墓については、亡Hに承継されていること、被相続人の相続税の申告書に相続人らが捺印する際、相手方らも亡Hが被相続人の祭祀を承継することに同意していたこと、亡Hは、被相続人の新盆、一周忌及び三回忌を行うとともに、春夏の彼岸には必ず多摩霊園にお参りしていること、相手方B(以下、「相手方B」という。他の相手方も同様に名で呼ぶ。)は、甲野家の先祖、位牌について全く関心がないことを挙げていた。

(3)  しかし、亡Hは、平成四年六月一〇日に死亡したため、申立人は、申立ての趣旨を主文のとおり変更した。

その理由とするところは、被相続人は、祭祀の承継者を亡Hに黙示に指定していたか、相続人の全員の合意により、祭祀の承継者を亡Hと定めたことにより、既に亡Hが祭祀の承継者であったところ、亡Hは、申立人を祭祀の承継者に指定したこと、仮にそうでなくとも、上記イの墳墓については、亡Hにより承継者を申立人とする指定があること、上記アの墳墓については、申立人の亡母が埋葬されており、心情からしても申立人が承継すべきであること、亡Hの相続人は、申立人が承継することに賛成していること、被相続人の遺言執行者として亡Hと申立人を指定していることからすれば、被相続人の意思としても亡Hの死後は申立人を祭祀の承継者とすることを希望したものと考えられること、亡Hの死亡後、申立人が甲野家において、長男的立場であること、亡Hは、申立人に対し、亡Hの死後には被相続人の祭祀を承継するように話していたこと、申立人は、被相続人の祭祀を承継する意思と能力があることなどである。

第二  相手方らの主張

一  相手方らは、被相続人I所有の祭祀財産の承継者として相手方Bを指定するよう求める。

二  相手方らは、次のように主張する。

(1)  被相続人は、祭祀の承継者を亡Hに指定してはいないし、被相続人の相続人五人のうち、三人は相手方Bが適任であると考えており、相手方らは、亡Hが祭祀の承継者になることに同意してはいない。上記イの墳墓については、名義が形式的に亡Hとなったことは認めるが、実体的な権利の承継はない。

後記の理由と合わせて、亡Hよりは、被相続人の祭祀の承継者には相手方Bを指定するのが相当である。

(2)  申立人が被相続人の祭祀を承継する理由はない。また、被相続人は、生前、申立人に高額な株式を預けて不明朗な処理をされたことをこぼしており、更に、被相続人の死後も遺産相続の過程で、被相続人の遺志を踏みにじる行為に出た者であり、承継人としての相当性を欠く。

(3)  これに対し、相手方Bは、昭和一九年から昭和六三年までの四五年間にわたり夫婦共同生活を送ってきたものであり、この間、子供らの養育等一切を被相続人とともにやり抜き、家業を補佐し、途中からは病身の被相続人に付きっ切りで看病しつつ、被相続人に代わって家業を支えてきた。また、相手方Bは、過去四三年間にわたり被相続人とともに先祖の供養をし、被相続人の死亡に際しては、喪主として葬儀を主宰し、四十九日法要、納骨など一切を主宰した。また、一周忌、三回忌を主宰し、春、秋の彼岸には墓参するなどしている。多摩墓地の墓地の管理料は、昭和六三年以降平成三年分まで、相手方Bが支払っている。

したがって、被相続人の祭祀の承継者としては、相手方Bが相当である。

第三  当裁判所の判断

一  民法八九七条が定める系譜、祭具及び墳墓の所有権を承継する者は、いわゆる祭祀の承継者であるところ、これは、第一次的には被相続人の指定により、このような指定がなければ、第二次的には当事者の慣習により、それでも決まらないときには、第三次的には家庭裁判所の審判により指定されるものである。

もっとも、利害関係人間で祭祀の承継者を合意すれば、これが優先するものというべきであろう。

本件において、申立人は、被相続人の全相続人間で、祭祀の承継者を亡Hとする旨の合意が成立したと主張し、申立人の審問において、平成元年二月二四日にC、Dも亡Hが祭祀承継者となることに同意したと供述するが、その後である平成元年三月一九日に作成された覚書(草案)(甲第五号証)にも、平成元年六月二四日付け「墓に関する協議書」にも同人らの書名捺印がないことに照らせば、これを認めることができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

また、被相続人による指定はなく、本件に適用すべき慣習の存在も明らかでない。

したがって、本件における祭祀の承継者を本件審判により指定することとし、以下検討する。

二  当事者

被相続人は、昭和五年四月一日Jと婚姻し、その間に、亡H、申立人、相手方Cの三人をもうけたが、昭和一八年九月一七日にJが死亡した。その後、被相続人は、昭和一九年二月に事実上結婚し、昭和二〇年四月二〇日に相手方Bとの間に相手方Dをもうけ、同年五月二三日に相手方Bとの婚姻の届出をした。

被相続人は、昭和六三年九月八日に死亡したので、相続人は、相手方B、亡H、申立人、相手方C、同Dである。

申立人には、当初申立人Aのほか、亡Hが加わっていたが、同人は、平成四年六月一〇日に死亡した。

民法八九七条が定める系譜、祭具及び墳墓並びに祭祀の承継者である地位は、一身専属的であり、相続の対象にはならない。したがって、祭祀の承継者を定める審判手続中に、申立人が死亡したとしても、申立人の相続人は、申立人の実体的な権利や地位を承継しないため、審判の申立人としての地位も相続人が当然には承継せず、申立人の死亡により、審判手続は続行できなくなる。しかしそれでは、実質的には紛争は解決していないので、家事審判規則一五条は、死亡した申立人の承継人でなくとも、申立人となる資格のある者に受継させることを認めている。

本件においては、当初申立人と亡Hとの二名であったため、亡Hが死亡しても、本件の審判手続は続行することに支障は生じていない。したがって、亡Hの相続人に受継させる必要はないから、亡Hの申立てについては、同人の死亡により、終了の扱いとするのが相当である。

しかし、亡Hの相続人は、独自の立場において、被相続人の祭祀の承継者を定める本件審判に利害関係を有するので、参加することを許可したものである。

三  本件審判の対象となる祭祀用財産は、次のとおりである。

(1)  多摩霊園の墓地(一種五区一二側三番)の使用権と墓石等(乙第一号証の二)

この墓地には、被相続人の父Rの遺骨の一部、K、同人らの子供であるL、M、N、Oの遺骨及び被相続人の最初の妻のJの遺骨が納められている。

(2)  奈良県の山の辺霊園の墓地(六区画四九号の一)の使用権と墓石等

この墓地にも被相続人の父Rの遺骨の一部が納められているほか、被相続人の祖父母であるP、Qの遺骨が納められている。

この墓地については、整理されようとしていたころ、亡Hの指示により申立人が訪れ、亡Hが承継人となる手続をとった。

(3)  仏壇、仏具

これらは、被相続人が生活していた相手方B名義の自宅に置かれている。

(4)  上記仏壇に安置されている位牌は、次のとおりである。

明月院光誉清幸大姉(被相続人の母K)と光月院清誉妙照大姉(被相続人の先妻J)と二名列記の位牌(乙第二七号証の一、二)、深誉誠心禅定文(被相続人の祖父)、深誉姉心禅定文(被相続人の祖母Q)、求道院清誉雄心居士(被相続人の父)、梅蘂院芳誉雄魂居士(被相続人の弟M)の四名と甲野家先祖代々とを列記した位牌(乙第二七号証の三、四)、梅岸院芳雪妙薫大姉(被相続人の姉L)、容顔智芳善童女(被相続人の妹N)、心鏡無善童子(被相続人の弟O)の三名列記の位牌(乙第二七号証の三、四)が被相続人の所有にかかる位牌である。

善照院観誉清風居士(被相続人)の位牌(乙第二七号証の一、二)は、被相続人の死後に作成されたものであり、被相続人の所有にかかるものではないから、本件審判の対象となる祭祀用財産には該当しない。

四  本件関係証拠によれば、次の事実が認められる。

(1)  被相続人と関係人の生活関係

被相続人は、昭和五年九月一六日死亡した父Rと母Kとの長男として生れ、その名をSと称していたが、父の死後家督相続し、昭和六年に名をSからIに変更した。ちなみに、被相続人の先祖は、織田信長の弟長益の五男(柳本城主)の家臣甲野佐十郎であり、祖父は、Pと称しており、被相続人の父は、その長男として生れ、名をTと称していたが、明治一五年に祖父が死亡して家督相続し、明治二七年に名をTからRに変更した。

被相続人は、四人の男子をもうけたが、「清」の字が付くのは、亡Hのみである。

被相続人の父Rは、日本橋で米雑穀商を営んでいたが、同人の死後は、その妻Kが家業を切り盛りし、また、多摩霊園に墓地を取得して、それまで青山墓地にあった遺骨を改葬した。しかし、被相続人は、昭和一三年の統制により商売を廃業し、父の残した不動産を売却したり、その賃貸収入により生計を立てており、それ以外には特別の仕事はしなっかた。

被相続人は、戦前に千葉県佐原市に疎開していたが、昭和三六年四月四日に東京都練馬区東大泉に相手方B名義で自宅を取得して転居し、さらに、昭和四八年二月五日に相手方B名義で建物を新築し、ここで生涯を閉じた。

相手方Bは、結婚以来被相続人の死亡までの四〇年以上を、亡H、申立人、C、Dの養育をし、申立人らが成人してからも世話をしたほか、賃貸不動産からの賃料の取り立てなど被相続人を助けてきた。

被相続人は、明治生の男性であったため、長男である亡Hをとても期待して育てた。

亡Hは、昭和二一年四月、日本歯科専門学校に入学し、昭和二四年三月に卒業したが、昭和二〇年代から独立して被相続人と別居していた。昭和三〇年には歯科医院を開業し、被相続人の歯の治療にも訪れていた。また、昭和六〇年に被相続人が練馬病院に入院した折には、亡Hの妻が病院に訪れ、相手方Bの手助けをした。相手方C、同Dの結婚式では、父親代わりとして亡Hが挨拶した。

申立人は、昭和二五年九月に両國高校に転入してからは、京橋の自宅に亡Hと申立人との二人で住み、以後申立人は、被相続人とは別に居住するようになった。申立人は、大学卒業後、証券会社に就職した。申立人は、昭和四九年には、被相続人から自宅の購入資金等を援助してもらった。また、被相続人の喜寿のお祝いは、申立人が差配した。昭和五七年に被相続人が東京医科歯科大学病院に入院した折には、申立人の妻が被相続人に付き添い、相手方Bを手伝った。

相手方C、同Dは、学校卒業後就職し結婚するまで被相統人と暮し、その後独立したが、昭和四三年に被相続人が都立大久保病院において手術を受ける際、輸血用の血液を確保するために努力した。

(2)  遺言

昭和六〇年一二月二一日作成の遺言公正証書には、祭祀承継者の定めはない。

但し、被相続人は、その中で、遺産である不動産について、相手方B、亡H、申立人、相手方C、同Dに相続させる趣旨の遺言をしたうえ、遺言執行者を亡H、申立人に指定した。

(3)  葬儀等

被相続人の葬儀の喪主には、相手方Bが就き、四十九日も相手方Bが主宰した。

多摩霊園の墳墓の承継者が決まらなかったために、被相続人の一周忌などは亡H側と相手方B側とで別々に行われるようになった。

そのため、亡Hは、平成元年七月二三日に被相続人の新盆、一周忌を妙定院、多摩霊園で行い、平成二年九月八日には被相続人の三回忌を、Jの五十回忌と先祖の供養とを兼ねて行い、お彼岸には多摩霊園にお参りしている。これに対し、相手方Bは、平成元年九月三日に一周忌を妙定院において行った。

(4)  当事者らの意向

亡Hは、平成四年六月一〇日に死亡したが、死亡前に、甲野家の祭祀承継者を申立人に指定する旨の遺言を残している。また、申立人は、本件手続において、被相続人の祭祀承継者として、当初亡Hの指定を求めていたが、亡Hの死亡後は、申立人自身を指定するよう求めており、被相続人の妹ほかの親戚の中には、被相続人の祭祀承継者を申立人にするよう求める者もいる。

申立人は、相手方Bの死後多摩霊園の墓地にその遺骨が納められることに異議はない旨表明している。

相手方Bは、先祖の法事などを被相続人とともに行ってきた。また、被相続人の死亡後、平成元年から平成四年分の多摩霊園に管理料を、被相続人名義で払い込んでいる。もっとも、平成二年分の管理料は、亡Hの代理人として申立人においても支払っており、二重払いの可能性もある。これに対して、山の辺霊園の墓地については、昭和四六、四七年ころ被相続人の父の五十回忌のため訪れたことがあるだけで、同墓地を申立人が承継することには異議がないようである。

相手方らは、相手方Bを被相続人の祭祀承継者に指定するよう求めている。

相手方Cは、前妻の子であるが、相手方Bが既に前妻の婚姻期間よりも長い期間にわたり被相続人を助けてきた実情に照らし、まず、相手方Bが祭祀承継者となり、その次に亡Hが祭祀承継者となることを希望していた。

五 被相続人の祭祀承継者は、被相続人との血縁関係、親族関係、共同生活関係、祭祀承継の意思と能力、被相続人との親和関係、祭祀財産の取得目的、管理の経緯を総合考慮して、被相続人が指定したであろう者を合理的に解釈して決定することになる。

本件においては、関係人の意向等に照らせば、申立人と相手方Bのいずれかを指定するのが相当であるが、申立人の立場は、主として亡Hが申立人を自己の承継者と指定したことに基づくから、基本的には、亡Hと相手方Bのいずれが被相続人の祭祀承継者としてふさわしいかの判断をすべきである。

第一に、明月院光誉清幸大姉(被相続人の母K)と光月院清誉妙照大姉(被相続人の先妻J)と二名列記の位牌(乙第二七号証の一、二)については、亡Hと相手方Bとが対立していた状況のもとでは、被相続人は、亡Hに承継させることを希望したであろうし、亡Hの死後には申立人に承継させるのが相当である。

第二に、奈良県の山の辺霊園の墓地(六区画四九号の一)の使用権と墓石等については、相手方Bは申立人が承継することに異議はないようであり、これに対し、亡H及び申立人にはこれを承継する意思があり、現に承継の手続もとっているので、亡Hからその承継を委ねられた申立人に承継させるのが相当である。

第三に、その余の祭祀用財産について、前記の諸要素に照らし、被相続人がいずれに承継させることを希望するかを以下に検討する。

前記の認定事実によれば、被相続人は、明治生の男子であり、長男亡Hに期待し、被相続人の祖父、父そして自分の名の一部である「清」の文字を入れて、長男の名を創ったと考えられる。また、相手方C、同Dの結婚式において、亡Hに父親代わりとして挨拶させたことなどに照らせば、被相続人は、甲野家の後継者を亡Hとする意思があったとも窺える。そして、昭和六〇年一二月二一日作成の公正証書遺言において、遺言執行者として、長男である亡Hと申立人とを指定しており、この事実に照らせば、被相続人は、その当時、亡Hと申立人を被相続人亡きあとの甲野家の中心になる者と考えていたとも窺われる。これらのほか、多摩霊園の墓地には、亡Hと申立人の実母の遺骨が安置されていること、多摩霊園及び山の辺霊園には、被相続人の兄弟姉妹や先祖の遺骨が納められているところ、被相続人の妹なども、被相続人の祭祀承継者を亡Hないし申立人とすることに賛成していることなどの諸事情に照らせば、被相続人は、亡Hを指定したとも考えられ、そうであるとすれば、亡Hの指定を受けた申立人を被相続人の祭祀承継者とすることも考えられる。

しかし、他方、相手方Cの書面(乙第一三、一四、一五号証)にもあるとおり、相手方Bは、結婚以来四〇年にわたり、被相続人を支えてきたものであり、被相続人は、同相手方に信頼を寄せていた。そして、被相続人は、相手方B名義とした東大泉の土地に同相手方とともに二七年間にわたり居住し、また、仏壇、仏具、位牌は、昭和四八年に新築した同相手方所有名義の被相続人の自宅に置かれている。そして、亡Hは、昭和二〇年代に独立して被相続人とは別居している。また、先妻の子であるCも、相手方Bがまず祭祀承継者となることを望んでいる。このように、相手方Bこそが被相続人ともっとも親和し、被相続人の死亡するまで共同生活を送った唯一の人間であり、このような事情に照らせば、被相続人は、祭祀承継者を相手方Bと指定することも十分考えられるところである。

新憲法のもと、家制度が廃止され、個人の尊厳を中心として新しい家族関係の形成が進む中で、祭祀の承継者を指定する基準は、家督相続制度的結合ではなく、むしろ、被相続人との共同生活の親密度に求められるべきであろう。

確かに、被相続人の先祖等の祭祀を行うべき者の決定という意味では、血統を基準とすることが考えられるが、本件にあっては、被相続人所有の祭祀用財産の承継者の決定は、単に被相続人の祖先等の祭祀のためだけでなく、被相続人のための祭祀をその祖先等の祭祀と合わせて行うことに意味があるのであるから、被相続人自体の祭祀を主宰すべき相手方Bに上記祭祀用財産を承継させるのが相当である。

また、他に、申立人をこれらの祭祀用財産の承継者とすることを相当と認めるに足りる証拠はない。

なお、現在、申立人側と相手方B側とが対立関係にあるが、被相続人は、亡Hとその家族も相手方Bも、そして必要があれば他の子供たちも、死後にはともに多摩霊園の墓地に入ることができることを希望していたと認められる。したがって、当事者は、その意思を尊重して、多摩霊園の墓地の管理運営を行うべきである。

六  よって、主文のとおり審判する。

(家事審判官 長秀之)

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